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世界の紛争-03 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争



第三回になるこのコーナー。
今回はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争について調べてみたいと思います。
3年半続いたこの紛争。
既に集結しているのですが、いまでもその爪跡は残っているようです。
以下俺まとめメモ

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争とは、

ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦。
ユーゴスラビア解体の動きの中で、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立を宣言したが、独立時に約430万人の人口のうち、民族構成の33%を占めるセルビア人と、17%のクロアチア人・44%のボシュニャク人(ムスリム人)が対立し、セルビア人側が分離を目指して4月から3年半以上にわたり戦争となった。
両者は全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。
紛争は民族問題が元になっている事が多いみたいですね。
レイプ、強制出産・・・。
穏やかではないですね。
紛争のはじまり

ボシュニャク人・クロアチア人「クロアチアも独立するらしいから、俺たちボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビアから独立しよう。」
セルビア人「ユーゴスラビアにはセルビア人が多いのでこのままでいい。俺達は独立に反対です。」
ボシュニャク人「では、独立の賛否を住民投票で決めましょう。」
セルビア人「私たちは抗議する為に投票をボイコットしまう。」
ボシュニャク人「かってにやっててください。投票の結果90%以上が賛成という事で独立を宣言します。ECに独立を承認してもらって国際連合にも加盟しましょう。」
セルビア人「勝手に独立しやがって!戦争だ!」
こうして、ボシュニャク人・クロアチア人とセルビア人の紛争が始まりました。

92 - 93年 セルビア人勢力の優勢

セルビア人「俺たちつええ~。ボシュニャク人は装備の質が悪いし、クロアチア人勢力は数でこっちが優勢。さらにあいつら、あんまり仲良くないみたいだな。もうボスニア・ヘルツェゴビナの6割以上制圧しちゃった。」
ボシュニャク人「クロアチア人がしっかりしないからセルビアに負け続きだ。」
クロアチア人「それはこっちのセリフだね。もういいよ。俺たちセルビア人と同盟結ぶ。」
ボシュニャク人「え~~~!!」
こうしてボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間でも激しい戦闘が開始され、ボシュニャク人勢力は一層の苦境に立たされた。

94年 - 95年春 対セルビア人勢力包囲網の構築とその破綻

セルビア人「民族浄化!他の民族の男は殺せ!女は強姦!強制出産!」
アメリカ「セルビア人嫌い。クロアチア人、ボシュニャク人がんばれ。」
ボシュニャク人・クロアチア人「アメリカさんがそう言うなら仲直りします。」
NATO「もう我慢出来ない。セルビア人許すまじ!空爆開始!」
セルビア人「空爆だ!これにはまいった。こうなれば国際連合保護軍兵士を人質だ!」
NATO「むむう・・・。」
これにより、国連保護軍に兵士を派遣しているイギリス・フランスとさらなる空爆を求めるアメリカとの間で意見が対立、NATOは機能不全に陥る。紛糾した事態は、ジミー・カーター元アメリカ大統領による和平交渉で打開された。これにより、95年1月1日から4ヶ月の停戦が実現した。

戦闘の終結

セルビア人「4ヶ月の停戦期限が終わったぞ。最後の攻勢に出よう。」
ボシュニャク人「うわ!これはまいった。」
クロアチア人「凄い攻撃だ!でもクロアチア軍が来てくれたから大丈夫。」
NATO「大規模空爆・デリバリット・フォース作戦開始!」
8月30日から9月14日までというこれまでにない規模の空爆の結果、セルビア人勢力は、クロアチア方面で敗退しただけでなく、ボシュニャク人勢力からの反撃を支える力も失った。これにより、セルビア人勢力も和平交渉への本格的な参加を決定し、停戦が実現して戦闘が終結した。

和平合意

戦闘中もボスニア3分割案などによって和平が模索されたが、NATOによるセルビア側への攻撃を含んだ介入によって停戦となった。1995年10月、内戦の当事国間による平和協定妥結を発表、そして11月に、内戦の当事国であるボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ユーゴスラビアの各大統領が集まり、43ヶ月間にわたった内戦終結のための平和協定に仮調印した。12月14日にパリで和平が公式に合意・調印されて戦闘は終息した。
合意により、クロアチア人・ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプスカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制を形成し、この二つが国内で並立する国家連合として外形上は一国と成すこととなった。
領土配分は、スルプスカ共和国が約49%、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が約51%とされ、両国はそれぞれの主体が独自の警察や軍を有するなど高度に分権化された。
あんなに憎しみ合った同士が同じ国の中におさまるというのは凄いですね。
最後に問題の「民族浄化」について。
民族浄化

異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、勢力圏を民族的に単一にする「民族浄化」が行われた。
「民族浄化」は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、それぞれの民族の間のわだかまりは根強く残っている。紛争のさなか、特にセルビア人による蛮行が大きく報じられ、セルビア人を取り立てて悪とみなす論調が広まった。一方でクロアチア人やボシュニャク人も、少なからざる虐殺や強制連行などの蛮行を行っていたことが証明されており、セルビア人だけが非人道的行為に及んでいたわけではない。
スレブレニツァの虐殺

1995年7月6日、ムラジッチ率いるセルビア人勢力は、国際連合の指定する「安全地帯」であったスレブレニツァに侵攻をはじめ、7月11日には中心部を制圧した。7月12日には、セルビア人勢力はスレブレニツァに居住していたボシュニャク人の男性すべてを絶滅の対象とし、8000人以上が組織的に殺害されるスレブレニツァの虐殺が引き起こされた。スレブレニツァの虐殺は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷および国際司法裁判所によってジェノサイドと認定された。
恐ろしすぎます。
どうゆう心理状態なのかまったく理解出来ません。
戦争になると人間、そうなってしまうのでしょうか?
平和に慣れた私たちにはとうていわかりませんね。

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テーマ : 世界の紛争
ジャンル : ニュース

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